AHUNAVATI GATHA

PART3

「来世信仰」
< Raise Shinkou >

Belief In The Hereafter

"Belief In The Hereafter"



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現代に近い時点から考察を進めて、過去へ向かって追究しているが、ここで、思考の方向を、反転させることにした。

すなわち、自分自身で、こう、問うたのである。

「もし、まったく『宗教的な信仰心』を持たない人に向かって、何か一つだけ、教えるとしたら、何を話すか?」

現代の『宗教』というと、複雑で難しい教義ばかりだ。だから、よけいに、一般市民は、興味を失う。

そういった、まったく宗教的な観念を持たない人に向かって、一つだけ、何かを話すとしたら、何が良いだろうか?

そのことは、こうも言える。

「その質問の答えは、すなわち、原始的な社会の中で、宗教的な観念を持っていない状態の、ただ食って寝て生活しているだけの、未開の人間に対して、行なう場合と、同じ答えになるはずである。」

つまり、

「現代社会は、科学や機械が発達しているが、宗教が氾濫していて、あまりにも宗教の種類が多過ぎて、何が健全な宗教で、何が邪悪な宗教なのか、区別が付かない状態に陥っている。その混乱状態では、逆に、一般市民は、すべての宗教に興味を持たなくなる。それは、『原始時代の未開の人間たち』と、同じ状態になっているということである。ということは、現代社会においても、同じ質問をすることによって、その解答は、現代社会の人々に対しても、大きな影響を与えるだろう。」

ということだ。

そして、筆者は、自分で考えた。「まったく宗教的な信仰心を持たない人」に対しては、どういう話が効果があるか? そして、その解答は、明白なのだ。迷う必要はない。その解答は、こうである。

「生きている間に、『善い生き方』をした人は、死んだあと、『天国』で生活して、楽しく生活することができる。生きている間に、『悪い生き方』をした人は、死んだあと、『地獄』に落ちて苦しむ。」

ここで、

「具体的に、どういうことが『善い生き方』で、どういうことが『悪い生き方』なのか?」

これが問題になってくる。

しかし、その具体的な説明は後回しに考えて、さきほど説明した、そのことは、相手に対して、『宗教的な信仰心』を、芽生えさせる効果はある。

つまり、「具体的に、どういう生き方が正しくて、どういう生き方は間違っているか?」という疑問の、解答を示さなくても、

「善い生き方をした人は、天国に昇り、悪い生き方をした人は地獄に落ちる。」

この部分だけ、「信じる」という気持になれば、「具体的な善と悪の追求」をしなくても、『宗教的な信仰心』は、その人の心の中に芽生えるはずである。

従って、原始時代、まず最初に誕生した、人類最初の宗教は、こういう感じのものだったに違いない。

その「具体的な善と悪の追及」は、その『人類最初の宗教』では、存在しないのだ。

それは、もちろん、「何が善で何が悪なのか、という説明」が、存在しない訳だから、それを知りたがっている人間にとっては、物足りない宗教になる。

だが、その、『来世信仰(らいせ・しんこう) [Belief in the Hereafter]』は、まったく宗教的な信仰心を持たない人に対しては、大きな「効果」をもたらす。

その宗教だけでは、「善と悪の追求」が存在しないのだから、「どう生きればいいか?」という解答を与えない。

しかし、毎日、ただ食って、寝て、給料をもらうためだけに仕事をしているような感じの、まったく宗教的な信仰心を持たない人に対しては、『宗教的な信仰心』という、それまで感じたことのない「感覚」を、感じさせる。

その、具体的な「答え」である、「善と悪に関する教義」は、まだ、聞いていないが、しかし、

「善い生き方をした人は天国に昇り、悪い生き方をした人は地獄に落ちる。」

この説明を、「信じる」という、気持ちに成ることによって、

「人間は、肉体だけの存在ではなく、肉体の眼では見えないものを持っているのだ。」

この説明を信じることにつながる。

まだ、これだけでは、「じゃあ、具体的には、どういう生き方が善い生き方で、どういう生き方が悪い生き方なのか?」・・・・・という、解答は、得られない。

しかし、その解答を、待たなくても、もうすでに、

「肉体が死んだあとも、何かが残る。」

という『教義』は、信じている状態になる。

・・・・・これが、『人類最初の宗教』なのだ。

「『善と悪に関する具体的な説明』は、存在せず、ただ、『来世は存在する』『善い人の魂は天国に行き、悪い人の魂は地獄に落ちる』ということだけが、説かれている宗教。」

これが、『グランドペアレント宗教』なのだ。

つまり、本物のグランドペアレント宗教は、中途半端で、物足りない感じの宗教なのだ。なぜなら、「具体的に、何が正しく、何が誤りなのかは説明がない宗教」だからである。

それが、存在するはずなのだ。

そして、その『グランドペアレント宗教』から、「何が善で、何が悪なのか?」を考察して「具体的な答え」を求めた宗教が、発生したのである。それが、『ユダヤ教』『バラモン教』『儒教』『道教』『ゾロアスター教』という、『古代五宗教』なのだ。

だから、その『グランドペアレント宗教』は、必ず地球のどこかに存在する。問題なのは、あまりにも太古の時代の宗教なので、発見できるかどうかなのだ。

しかし、筆者は、先月、2016年4月、「おそらくこれだ」という、宗教を発見した。それは、

「『ゾロアスター教』として確立してゆく前の段階の、『原始ゾロアスター教』。」

である。

仏教では、『原始仏教(げんしぶっきょう)』=『初期仏教(しょきぶっきょう) [Early Buddhism]』というジャンルは、すでに存在しているが、『原始ゾロアスター教 [Primitive Zoroastrianism]』という言葉は、一般的には存在しない。筆者が考案した表現である。

【仏教では、『原始 [primitive]』という表現をすると、「レベルが低い」という意味に解釈されることが多いので、その表現を避けて、『根本仏教(こんぽんぶっきょう)』とか『初期仏教』という表現方法を採る場合が多いが、筆者は、『原始 [primitive]』=『起源 [origin]』という印象を持っているので、仏教に関しても、個人的には、この表現のほうが好きである。『原始仏教』とは、「ブッダが生きていた時代、および、ブッダの死後100年後くらいまで時代の仏教」を解明しようとするジャンルの仏教である。】


【ウィキペディア】★初期仏教


『バラモン教』というのは、『梵我一如(ぼんがいちにょ)』という、神秘体験を追究した学問であり、『道教』というのは、現代科学でもまだ未発見の、何かのエネルギーを研究した学問であり、これらは、専門的であり、一般市民では、理解しにくい。

『ユダヤ教』は、空から飛来した『神』との『契約 [testament(証{あかし}/信条)]』の物語を収録した記録である。これも、一般市民には理解しにくい。

これらに対して、『儒教』は、一般市民でも理解しやすい宗教である。それは、

「自分を育てた親や、自分が世話になった年長者の人たちや、自分を助けてくれた人たちに対する恩義を忘れずに生きることが大事なのだ。」

こう、教えているだけであり、難しい理論は展開していない。

だが、ゾロアスター教は、それよりも、更にシンプルだ。筆者も、まだ、完全に習得したわけではないが、そんなに複雑な理論を展開している感じはしない。ただ、こう教えているのだ。

@ 『善思(ぜんし)』 [<English> Good Thoughts]
[<Avestan> Humata] [<Sanskrit> Sumata]
... 心の持ち方に注意して、健全な心の状態を保つようにする。

A 『善語(ぜんご)』 [<English> Good Words]
[<Avestan> Hukhta] [<Sanskrit> Sukta]
... 言葉の使い方に注意して、他人を傷付けないようにする。

B 『善行(ぜんぎょう)』 [<English> Good Deeds]
[<Avestan> Huvarshta] [<Sanskrit> Suvartana]
... 自分が行なう行為に注意して、周囲の人たちと楽しく過せるようにする。

ゾロアスター教は、別名、『拝火教(はいかきょう)』というくらいであるから、『聖火(せいか) [sacred fire]』を大事にしているわけだが、それは、たぶん、キャンプファイヤーで友達同士が集まるような感覚で、「信者たちが集まるときに、聖火を焚く」という程度の意味ではなかろうか?

昔、仏教の『真言宗(しんごんしゅう)』では、僧侶が、『護摩(ごま)』と呼んでいる『聖火』を焚いて祈ることによって、「干魃(かんばつ)の地で雨を降らせる」などの超能力を発揮していたそうだが、ゾロアスター教の場合、難しい理由があるとは思えない。

目的は、『天国』に昇ることなのであるから、『意思』と『言動』と『行為』に注意していれば、最高神:『アフラ・マズダー』から『合格』の判定はいただけるだろう。

真言宗では、『身口意(しん・く・い)』が大事なのだそうだ。『身(しん)』とは『行為』という意味であり、『口(く)』とは『言動』という意味であり、『意(い)』とは『意思』という意味である。僧侶は、超能力を発揮するが、一般市民の信者は、自分自身の「行為」と「言動」と「意思」に注意して、楽しく生活していれば、それでいいのである。超能力を発揮する僧侶は、火を特別なものとして扱うが、信者は、難しい「秘法」を勉強する必要は無い。

バラモン教も、ユダヤ教も、道教も、『預言者 [prophet]』や『最高神官 [highest priest]』や『高位聖職者 [prelate]』というような非常に高いランクの人物ならば、「超能力」を発揮したり、「神」と直接対話をしたりしなければならないので、難しい理論を研究して、苦しい修行を積む必要があるが、一般市民の『信者 [believer]』の場合、難しい教義など、知らなくてもいいのである。

そして、もし、『原始ゾロアスター教』が、「善と悪に関する教義が存在しないが、来世信仰だけ説かれていた」という仮説が正しいならば、そういう内容の『テキスト [text]』があるはずだ。

そのテキストは、良く言えば「分かりやすいテキスト」であるし、悪く言えば「幼稚なテキスト」であるはずである。ただ「死後の世界である、天国と地獄の存在を信じろ」という内容だけが書かれているはずだ。

そして、筆者は、ゾロアスター教の聖典:『アヴェスター [Avesta]』を読んで探した。

『アヴェスター』は、大部分が、ザラスシュトラ・スピターマ本人が作成したものではないという。太古の時代なので、ザラスシュトラ・スピターマの時代に、『書物』は存在しない。テキストを丸暗記した専門職の人たちが、弟子に口伝えで「伝承(でんしょう) [oral tradition]」したものである。その「伝承」を、西暦紀元後の、ある時期に、書物として記録したのであり、「テキストが作成された時期」と、「書物として記録された時期」は、同じではないのである。

ザラスシュトラ・スピターマ本人が作成したテキストは、『アヴェスター』の中の、次の部分だけだという。これらのテキストには、名前が付いている。

@ 『アフナワティー・ガーサー [Ahunavati Gatha] [Ahunavaiti Gatha]』
=『ヤスナ [Yasna]』第28・29・30・31・32・33・34章(全7章)

A 『ウシュタワティー・ガーサー [Ustavati Gatha] [Ushtavaiti Gatha]』
=『ヤスナ [Yasna]』第43・44・45・46章(全4章)

B 『スプンターマンユ・ガーサー [Spenta Mainyu Gatha]』
=『ヤスナ [Yasna]』第47・48・49・50章(全4章)

C 『ウォフークシャスラー・ガーサー [Vohu Xsathra Gatha] [Vohu Khshathra Gatha]』
=『ヤスナ [Yasna]』第51章(全1章)

D 『ワヒシュトーイシュティ・ガーサー [Vahistoisti Gatha] [Vahishto Ishti Gatha]』
=『ヤスナ [Yasna]』第53章(全1章)

【「第35章から第42章まで」および、「第52章」は、はいらない。】


【Wikipedia】★Gathas★(日本語なし)


『アヴェスター』の中の、この「17章」だけは、『ガーサー [Gathas]』と呼ばれている。『ガーサー』とは、中国語では『偈頌(げじゅ)[<Chinese> Ji-song]』と翻訳されているが、意味は、『詩 [poetry]』というような意味であるらしい。筆記による記録手段が無い時代は、テキストを頭で丸暗記していたので、覚えやすいように、詩の形式にしていたのである。仏教経典も、太古の時代の経典群は、そのような形式のテキストになっている。

伊藤義教が翻訳したテキストを読んだ。英語などのヨーロッパ語から日本語に翻訳したのではなく、直接、アヴェスター語のテキストを、日本語に翻訳したらしい。ところどころで、「解読不能」と、正直に説明しているところが面白い。しかし、難しい理論が存在しないので、全体的には、何が書かれているのかは充分に判読(はんどく)できる。

そして、そのザラスシュトラ・スピターマ本人が作成したという『ガーサー』の中でも、更に、もっとも自分の『グランドペアレント宗教』に関する推理に合致する部分を、検証した。

それは、『アフナワティー・ガーサー』だった。この7章だけは、「雰囲気」が違う。ガーサーの中の他の10章と比較して、テキストの内容の雰囲気が違う。

そして、この7章の部分だけで、「完成された1冊の書物」であるかのような「印象」を受ける。

ただし、伊藤義教は、「アフナワティー・ガーサーだけは、他のガーサーとは違う」というようなことは論じていない。あくまでも、「筆者が伊藤義教による日本語翻訳版を読んで、個人的に、そう感じた」と言っているだけである。

では、実際に、その、『アフナワティー・ガーサー』を、読んでみよう。

古い書物を読むとき、映画や漫画では味わえない、独特の感動がある。たとえそれを書いた人が、すでに亡くなっているとしても、その書いた人の『魂』は、その『文章』の中で生き続けているのである。

次の『PART4』は、伊藤義教の翻訳による、『アフナワティ・ガーサー』の全文である。

伊藤義教による『アヴェスター』の翻訳は、1967年頃なので、今から50年くらい前の日本語であるから、現代の日本語が読める人も、完璧には判読できないと思うが、大雑把(おおざっぱ)に読んでいただくだけでも、だいたいの内容は分かると思う。

筆者は、『アヴェスター語』や『ペルシア語(ペルシャ語)』は、まったく読めない。50年前の日本語は、ほぼ100%、判読できる。もちろん、ゾロアスター教特有の『固有名詞 [proper noun]』は、勉強しないと意味が分からない。しかし、一般的な単語で組み立てられた文章は、ほぼ完全に判読できる。また、時間と「やる気」さえあれば、現代英語に翻訳することもできる。

人類の『宗教経典』の歴史は、「書籍の無い時代にテキストを丸暗記した専門職の人たち」と、そして、「書籍が有る時代の翻訳家たち」の、努力を抜きにしては語れない。そこには、『語り部(かたりべ) [reciter(暗唱{あんしょう}する人)]』と『翻訳家 [translator]』の情熱がある。

紀元前の時代の、偉大な人物たちが語った言葉が、そのまま、現代にまで伝えられ、そして、それを、自分が知っている言語で読むことができるならば、それは、非常な「幸運」であり、そして、「神秘的な体験」である。


【ウィキペディア】★語り部


【goo辞書】★語り部の英語・英訳




----- PART4へ続く -----








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